このコーナーでは,レスラーや関係者,マスコミの諸氏に当時を
思い起こして《W★ING》の思い出を語ってもらおう,と思う。

第1回は“極悪大王“ミスター・ポーゴの登場です。

茨城が〈ホームページ〉を始めるので,
俺様に《W★ING》の思い出を書いて欲しい,と言ってきた。

茨城とは,かれこれ40年…いや,もう少し長い付き合いになるかな。

奴と俺様が最初に会ったのは,21,2歳の事だった,と思う。

場所は…アメリカのロサンゼルス。俺様は日本を飛び出してハワイからアトランタ,
カルガリーと廻って,「ミスター・セキ」のリング・ネームで暴れ捲っていた。

まだ二十歳(はたち)そこそこだったし,金は無かったが,
怖いもの知らずというか…血気盛んだった。(笑)

茨城とは同い年だし,直ぐに意気投合した。
其れからというもの俺様が転戦した先々に,茨城はヌ〜ッと現れた。(笑)

アマリロ,,プエルトリコ…。
そうそう,カンザスじゃあ俺様のマネージャーまでやっちゃったもんなぁ〜。

まあ,そんな茨城が団体を興したんだから俺様が協力しない訳にはいかないだろう?
《W★ING》では俺様のやりたい放題だったしな…楽しかったよ。

まあ,《W★ING》を離れた時は,茨城とのちょっとした言葉の行き違いといおうか,
ボタンのかけちがいがあったけど,今でもあの2年間は忘れる事が出来ない。
聞くところによると,《W★ING》が発足した年から数えて来年で,25年なんだってな。

早いよな〜。俺様も歳をとる筈だ。(笑)

とはいっても,まだ老け込む歳じゃないよな…。



On that day,at that time

あの日,あの時…W★ING史上,色々とあった出来事から“事件“や人物との思い出など,
このコーナーで振り返ってみたいと思います。

第1回は《W★ING》の誕生から消滅まで…
W★INGを陰で支えてきた功労者である“悪の司令塔“ビクター・キニョネスです。

April 2nd Is the Anniversaly of Victor Quinones’s death.

W★INGの旗揚げから“プエルトリコ軍団“を操り,
悪の限りを尽くしたプレーイングマネージャーとして暴れ捲ったビクター。

片手に竹刀をもってポーゴや軍団を支えてきたビクターは,
いつしかW★INGにとってみても無くてはならない存在にまでなっていました。

髭を蓄え,サングラスに葉巻…といった独自のスタイルを確立したビクターは
マネージャーとしてだけでなく,日本のプロレス史に大きな足跡を残したと言えよう。

最初にビクターと顔を合わせたのは《FMW》であったが,
あまり会話をした記憶がない。
それだけにキニョネスとの950日は濃厚な日々であった様に思う。

ビクターとは《W★ING》の解散から会う事は無かったが…
2006年4月2日プエルトリコの自宅で死去。
私と同年代だと思っていたのに46歳の若さだった。(苦笑)

ビクターが亡くなって,来年で10年になるが…
10数年振りにプエルトリコに行ってビクターの墓参りに行きたいと思うし,
ビクターを追悼する意味からメモリアル・マッチを行う事が出来たら,とも思っている。

もし,ビクターがこんな私の胸の内を知ったなら
「ホント〜」とサングラスの奥から疑いの目で聞き返してきそうだ。
ビクターが健在ならば今年で56歳。

大好きな日本には未だに頻繁にやってきている…と思う。(笑

















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